2024.04.13 | 課外授業
【友達ってナンだ?】オンラインゲームとアリストテレス
【友達ってナンだ?】オンラインゲームとアリストテレス
東京都杉並区永福町の個別指導塾、英才個別学院 永福校です!
以前の動画ですが、どうぞ。
勉強をしない理由の上位に「ゲーム」が挙げられるのは昔からですが、最近はオンラインで繋がっているので、「友達が続けているから」自分も抜けられない、という現象があるようです。
時代を感じます。
そんな時、勉強しなくちゃいけないのにゲームを辞めない人って本当に「友達」なの? と疑問に思ってしまう自分がいます。
私なりの「友達」の定義は、
「辛い時に顔を思い出して、あいつもきっと頑張っているだろうから自分も頑張ろう、と思わせてくれる存在。」
お互いの成長を喜ぶのが「友達」なんじゃないかな、と。
成長の機会を奪うような存在が「友達」なのかな? と疑問に思うわけです。
大人になった今では、毎日顔を合わせる友達というのは減っていきます。
それでも仕事でもプライベートでも辛いことがあった時に、「ああ、あいつもどこかで頑張っているはずだから、俺も頑張ろう!」と思える友が何人かいます。
その人たちとは深い「友情」で結ばれているなあと実感します。
さて、哲学者のアリストテレスはもっとスマートに友情というものを表現しています。
厳密には「親愛に値するもの」という表現ですが、「友」に置き換えてもいいでしょう。
アリストテレスは3種類の「親愛に値するもの」があると述べています。
①一緒にいると自分が成長できる友達(善きもの)
②一緒にいると心地の良い友達(快適なもの)
③一緒にいると利益をもたらす友達(有用なもの)
アリストテレスの言う1番目を、私は無意識に「友達」と呼んでいたのですね。
これは、夢とか目標というものが割と明確だった人生を歩んでいたからかもしれません。
同じ夢を持つ者との切磋琢磨、夢は違えども一生懸命に何かに打ち込む姿勢に対する共感と尊敬、そんなものを抱ける存在を「友」と呼んでいました。
もちろん、社会人になってからは2番目の存在も重要だったなあと気づきます。
特に学生時代、利害関係なく結ばれた間柄は大人になってからの宝物です。
もしかしたら友情というものの大半は、最初は2番目の存在からはじまるのかもしれません。
やがて彼・彼女の夢や目標に触れ、「応援したい」という気持ちと、「自分も頑張らねば」という気持ちが芽生えることで、1番目の関係に進化(深化)することもあるのかもしれません。
皆さんにとっての「友達」とは、どういう存在でしょうか。
参考文献
ニコマコス倫理学 第8巻
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