2025.05.29 |
【中学社会 ペリー来航】
こんにちは、英才個別学院池尻校です。
1853年,アメリカ合衆国の東インド洋艦隊の提督ペリーが4隻(せき)の黒船を率いて神奈川の浦賀に来航した。
小学校・中学校でもおなじみの歴史的事件です。この出来事によって日本は開国~幕末の動乱が始まりました。
ところで,ペリーはどのような航路で日本に来航したと思いますか?現代人の私たちは,太平洋を横断して日本にやって来たと考えがちですが,実はそうではありません。
ペリーは下の図のように,大西洋~アフリカ大陸最南端~インド洋~中国~沖縄という順番で日本に来航しました。

出典:国立国会図書館国際子ども図書館「中高生のための幕末・明治の日本の歴史事典」 (https://www.kodomo.go.jp/yareki/policy/index.html)
では,なぜこのような航路をとったのでしょうか?
この当時の黒船(蒸気船)の燃料は
石炭であり,
燃料や食料の補給のがしやすい航路をとったのです。アメリカ本土から太平洋を横断するために必要な燃料となる石炭を大量に積むことができなかったわけです。また,この当時
アメリカ合衆国の産業都市は東海岸(現在のニューヨークやワシントンD.C.周辺)に集中しており,西海岸が発展するのは1869年の大陸横断鉄道が完成してからでした。東海岸から出発すると上記のルートを通って日本に向かう方が適切だったのです。
また,北太平洋亜熱帯循環(北太平洋の中緯度にある大きな時計回りの循環)による海流の影響で,
アメリカ西海岸から日本へ向かうためには海流に逆らって進まなければならず,大量の石炭を消費するという問題もありました。
翌1854年,再び来航したペリーは幕府と日米和親条約を結んだ。これも入試に出題されるので覚えておかなければならない重要事項です。ん?ペリーはアメリカに帰って,わざわざまた日本の来たのかな?
そうではありません。ペリーは日本を出発後に当時イギリスの植民地だった
香港(ホンコン)に滞在していました。そして,イギリスやロシアが日本と交渉しそうだという情報を得たペリーは,アメリカが最初に日本と条約を結びたいと考え,翌1854年に香港を出発して日本に再び来航,日米和親条約を結んだのでした。
歴史を単なる暗記科目として処理してしまうとつまらないですが,その原因や理由を考察していくと,理科にも似た真実の探求という面白さがあります。みなさんも,興味のある出来事を深掘りしてみませんか。
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