2022.02.05 | 課外授業
【理屈で覚える歴史④】大化の改新② なぜ天智天皇は大量の土木工事を行い、都を滋賀県に移したのか?
【理屈で覚える歴史④】大化の改新② なぜ天智天皇は大量の土木工事を行い、都を滋賀県に移したのか?
663年、中大兄皇子(後の天智天皇)は唐・新羅の連合軍に戦いを挑みます(白村江の戦い)。
この戦いで完膚なきまでに敗北した中大兄皇子は唐・新羅の復讐を恐れます。
当時、唐・新羅が日本本土を攻めてくるとしたら北九州(福岡)から上陸し、瀬戸内海を通って大阪にたどり着き、そこから奈良の明日香まで攻め込むルートが考えられました。
そこで北九州の守りを固めるために防人(さきもり)という兵隊を置きます。
さらに敵が容易に攻め込めないように水城(みずき)という堤防のようなものを設置し、朝鮮式の山城を作ります。
万が一そこを突破された場合を考え、瀬戸内海沿いに朝鮮式山城を作り防備を固めます。
そこも突破されて上陸されたときのことを考え、滋賀県の大津に都を移します。
万が一攻め込まれた場合、琵琶湖を渡って関東にまで逃げるつもりであった、とも言われています。
「大化の改新」という律令体制を目指す政治改革の前半が土木工事や大津への遷都に費やされた理由が、白村江の戦での敗北でした。